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ケイ陽から広武山へ

JUGEMテーマ:歴史

 

 

大敗北から4カ月、劉邦らは命からがら逃げ込んだケイ陽(河南省鄭州市)で籠城を続ける。

 

孤立した劉邦が再起をはかるためには軍勢を集めることが急務であった。

 

 

劉邦は軍事の天才である韓信に望みを託し、曹参と共に、項羽に寝返った諸国を攻めて軍勢を集めるように命じる。

 

曹参

 

劉邦軍の未来を託された韓信は、わずか12000の兵で20万の兵を持つ趙(現在の河北省)を攻め、見事な戦術で趙の軍勢を挟み打ちすることに成功して大勝利すると、その後も次々に項羽に寝返った諸国を打ち破り、その軍勢を吸収していった。

 

 

 

 

不利な状況の中で劉邦の軍師・陳平は、項羽が疑り深い性格であるため部下との仲たがいを謀ることが出来ると進言し、劉邦はその実行に4万金もの大金を陳平に与えて自由に使わせた。

 

 

陳平が「范増・鍾離昧・龍且・周殷といった項羽の重臣たちが、功績を上げても項羽が恩賞を出し渋るため、劉邦に協力して項羽を滅ぼして王の地位を与えてもらおうとしている。」という噂が項羽に届くように謀り、項羽はそれを信じて疑うようになる。

 

 

項羽は腹心ともいえる軍師・范増を特に疑うことになり、范増は失脚して故郷に帰る途中で憤死した。

 

陳平は、項羽軍最大の頭脳を戦わずして排除する。

 

 

 

 

一方、軍勢を集めに行った韓信から手紙が届き、劉邦は韓信の帰りの知らせであることを期待するが、その内容は、斉を安定させるために王を名乗りたいというものであった。

 

韓信

 

 

劉邦は、自信を持った韓信が野心を抱いて裏切ろうとしていると察し、激怒する。

 

 

しかし、張良が「ここは韓信の望み通りにするべきである。さもなくば、韓信は本当に裏切るだろう。」とさとし、劉邦は韓信の機嫌を損ねないように斉王となることを認めた。

 

 

 

 

項羽軍の包囲が続く中、劉邦軍の食料は底をついてきたので、周苛・樅公に時間稼ぎの防御を任され、偽の劉邦を城の外へ出して項羽軍を油断させると、劉邦ら本隊は逆側からケイ陽を脱出した。

 

周苛・樅公は陥落後、項羽軍によって処刑される。

 

 

 

劉邦軍は蕭何が治める根拠地・関中に引き返して、態勢を立て直すと、天然の要塞と名高い広武山(河南省)に移動して籠城の態勢を固める。

 

広武山

 

道が険しく一気に攻め入ることの出来ない項羽軍は、籠城する劉邦軍と谷を挟んだ向かい側に陣をはり、両軍の膠着状態は数カ月も続いた。

 

 

 

項羽軍の食料が底をつきはじめると、焦った項羽は、捕虜にとっていた劉太公(劉邦の父)を引き出して、大きな釜に湯を沸かし「父親を煮殺されたくなければ降伏しろ。」と迫ったが、劉邦は「殺したら煮汁をくれ」と返答する。

 

次に項羽は「これ以上、我ら二人のために犠牲者を出さぬよう二人で一騎打ちをして決着をつけよう。」と言ったが、劉邦はこれを笑い飛ばした。

 

 

そこで項羽は、弩(威力のある弓)の上手い者達に劉邦を狙撃させ、矢の一本が劉邦の胸に命中し、劉邦は大怪我をするが、劉邦はとっさに足をさすってみせ、味方に動揺が走って士気が低下するのを防ぐ。

 

劉邦

 

紀元前203年、ついに項羽軍の食料は底をつき、項羽は、捕虜にとっていた劉邦の父や妻を返還することで、劉邦といったん和睦することを決める。

 

 

 

 

 

 

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