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彭城の戦いで見せた鬼神のごとき項羽

JUGEMテーマ:歴史

 

 

一方、項羽は多く不満を買い、各地で反乱が続発し、項羽はそれらを圧倒的な力で鎮圧し続けるが、その数の多さに東奔西走するようになり、項羽から劉邦に対する注意力は薄れていく。

 

 

 

劉邦はその隙に乗じて関中へと出撃すると、一気に関中を手に入れ、さらに有力諸将の項羽への不満をまとめあげながら、56万人にも膨れ上がった軍勢で項羽の本拠地・彭城(現在の江蘇省徐州市)を目指した。

 

劉邦

 

 

彭城の危機を知った項羽は九江王・英布に彭城を守備するよう命じるが、英布は病と称して項羽の要請を断る。

 

 

紀元前205年、反乱鎮圧に奔走する項羽が留守にし、わずかな守備兵だけを残していた上に英布の援軍も無い彭城は、劉邦が率いる56万の連合軍に太刀打ちできずアッサリと陥落した。

 

 

劉邦は連合軍に対して全軍の指揮を執らず、各国各々に指揮を任せていたため、彭城を制圧後は無法状態となり、連合軍は大勝利に浮かれて、日夜城内で宴会を開き、城内の財宝を荒らし、女を犯し、好き放題に遊びだす。

 

 

 

 

彭城の陥落を知った項羽は3万の精鋭部隊を編成して、猛スピードで彭城へと引き返してくると、油断しきっていた連合軍56万を木っ端微塵に打ち破り、連合軍は10万人にものぼる死者を出し、川に追い詰められて殺された兵士の死体で、川の水がせき止められるほどであった。

 

項羽

 

 

連合軍は散り散りになって逃走し、劉邦は途中に家族が住む沛に立ち寄るものの既に父・劉太公や妻・呂雉ら家族はすでに項羽軍に捕らえられていたが、子ども達を発見したので馬車に乗せて逃亡するが、途中、劉邦は恐怖に駆られて、馬車を軽くするためと言って子ども達を捨てようとするが、御者の夏侯嬰に諭される。

 

 

56万の大軍を擁しながら、わずか3万に大敗するというブザマさに各国は劉邦を見切る結果となった。

 

 

 

 

 

 

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